卒業式の練習、、、そう聞いただけでいやな記憶がよみがえる、という方もいらっしゃるのではないかと思います。
冬休みも終わり、3学期に入ると早いところでは卒業式の歌の練習がぽつぽつと始まり、そのうち式の練習も始まります。
今回は同情してくださる方も多いと思われる卒業式の練習、について考えてみたいと思います。
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教員:「卒業式は学校行事の中でもっとも大切な行事です」??
この発言、見事に小中高とすべての教員が言っていたのですが、私はとてもそうには思えませんでした。
確かにお世話になった学校にお別れするわけですから大切なのかもしれませんが、最も大切な行事、といえるほど思い出深いものではありません。
小中高生に「一番大切だった行事は何でしたか」と聞いても「卒業式」、という答えがトップに来るとは思えません。
私は練習がいやでいやで仕方がなく、「練習が終わったからよかった」程度の感覚でしかありません。
教員は「もっとも大切」と言いますが、生徒児童からしたら決してそんなことはないのではないか、というのが私の主張です。
まずはひたすら卒業式やその練習に対する ? なことや愚痴をつらつらと書き連ねていきたいと思います。
そしてそれに対する勝手な考察を書き加えてみたいと思います。
式典の練習
式典の練習、って普通しますかね? 小学生の頃からずっとずっと疑問に思っていたのですが、今でもその言葉の響きさえ滑稽に思えます。
「式典の練習」ですよ。
大事な式典の簡単なリハーサルや流れ確認ならまだ分かりますが、「練習」、というのはどうにもおかしな気持ちがしてなりません。
極端な話、お葬式や結婚式の練習をするようなもんです。
「新郎新婦が入場するので、立ってください、そこで新郎新婦は胸を張って入ってくる!ここに立つ、拍手のタイミングがどう、スピーチをする人は内容を事前に確認してもらって練習でも何度も読む、はい、退場、新郎新婦がいなくなったらピシッと拍手をやめます。」
はたまた、
「もうすぐお爺ちゃんなくなりそうだから練習します(この時点で不謹慎ですが)決まった位置に座って、お坊さんが入場してくるときは姿勢を正して、〇〇のお経が始まったら焼香を決められた順番にして、ここで止まって、この角度で手を合わせて、親族に一礼して、お坊さん退場したらみんなで棺桶を囲んで泣きますよ」
なんていう練習はばかばかしいですし、お葬式に至っては非常識ですよね
卒業式の練習をするのであれば、お葬式での正しい立ち振る舞いの練習とかを指導した方が今後絶対に役立つと思いますがね、、、
感動半減
私は卒業式で泣いたことがありません。
決して感情が喪失しているわけではなく、むしろ悲しいことや感動することがあったら結構なくタイプです。
でも、いままで3回経験した卒業式ではいずれも泣いたことはありませんし、うるっときたことすらありません。
高校はリハ1回だったのですが、練習地獄だった小中で感じたことは「やっと練習から解放される」という気持ちだけでした。
本番で怒られることはないので、「よし、今日は何をやっても大丈夫だ、気楽に臨もう」くらいの気持ちでした。
その意味で感動は半減です。そんな冷めた私から言わせれば、今までさんざん苦しめてきた教員は何を感極まって泣いてるのか、の一言に尽きてしまいます。
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歌
私は合唱はもちろんカラオケも含めて歌うのは大好きなのですが、、、中には歌が嫌い、という方もいると思います。
歌が好きだった私が抱くのも違和感があるのかもしれませんが、卒業式で歌を歌う、ということが昔から疑問でした。
校歌を歌うならまだ分かるのですが、卒業の歌、とかで卒業生も在校生も歌いますよね?
感謝を伝えるために歌以外の方法はあるのに、全国規模で歌を歌う文化が浸透しているのが疑問でなりません。
保護者はいやいや歌わされている歌を聴いてうれしいのでしょうか。
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受験に影響
高校受験を控えている中学生や大学の中期、後期試験を控えている学生にとって、卒業式の練習ほど負担になるものはないでしょう。
私は高校は前期入試の後に卒業式で、練習もほとんどなかったので負担はありませんでしたが、中学時代は苦労しました。
いわゆる「呼びかけ」「群読」っていうのを覚えないといけないんですよね。
高校受験が控えている中、毎年同じで感動も何もない文句を覚えるのはいかがなものでしょうか。
こちらとしては、もっと入試の対策に力を入れてほしいものです。
返事、起立、着席、礼の練習
卒業証書をもらうときに返事をする、なんてことありましたよね。
返事が小さいと何度でもやり直しをさせられるのです。
別に生徒や児童は先生のために返事をしているわけでもありませんし、人によって声の大きさは十分違うのに、わざわざ大きい声だけを良しとして強制させるのも不思議な話です。
背もたれにもたれることなく座り、号令ですぐに立ち、音を立てないように素早く座る。
礼は1、2、3など心の中で数えて、同じような角度でみんなでそろえてやる。
これらの行為を延々と繰り返させるわけですね。
この行動が役に立つのは、卒業式以外にはありません。
今後絶対に役に立つことがない経験をさせられるわけです。
練習中は絶好調で叱りつけ、本番は感極まって号泣する教員
卒業式の練習といえば教員が鬼のように神経を研ぎ澄ませ、大声をあげ、生徒児童を怒鳴りつける。
自分の言うことを来てくれる子供を見ているのが楽しいのでしょうか。
そして本番では号泣するのです。
卒業式は確かに泣いていい式典なのかもしれませんが、生徒児童を呼ぶのもまともにできない教員もいるとなんだか見苦しく感じてしまいます。
たとえが極端かもしれませんが、お葬式で泣くお坊さんでしょうか。
卒業生の担任であれども、教員はあくまでもわき役です。生徒児童の引き立て役にしか過ぎない教師が泣くのはいかがなもんでしょうか。
私は冷めた性格なので、不快な環境で練習をさせられたのに、勝手に感極まって泣いているのはいかがなものかと思います。
考察
この卒業式の練習という「伝統文化」について、勝手な考察をしていきたいと思います。
軍人育成の背景
ここまで式典の練習をするのは、動きをそろえるためだ、なんて意見も聞こえてきそうですが、そもそも参列している保護者や来賓はそろえる気はありません。
一同起立、で生徒児童がいかに迅速に起立しても、保護者や来賓は「どっこいしょ」とゆっくり立ち上がるのです。
そもそも入学式は練習はおろかリハーサルすらなしでも十分見苦しくない程度に様になるのです。
そんなにそろえる必要はないと思いますがね……
結局のところ日本の教育には「そろえる」ことに美徳を見いだす軍隊教育が未だに残っている背景があります。
運動会の組み体操などもその典型的な例です。外国では運動会すらない、と言われますし。
海外と比べてみても組み体操や卒業式の練習なんかをしているのは日本ぐらいです。
結局はこれもかつての軍人育成の背景が残っているのではないでしょうか。
今となっては日本社会で嫌な目をされない「無難な人間」を育成し、管理しやすくするという考えが根底にあるのではないかと思います。
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海外の教育方針と卒業後
海外では日本式の管理教育、というものが良くないとされているところもあります。
当然式典の練習なんて言うばかげたものはありませんし、子供たちはのびのびと教育を受けています。
「質問ある人~?」と聞かれて誰も手を上げないのが日本だと思います。
海外では授業中先生の話をさえぎっても質問をすることは普通にあることで、先生側もそれを不快には思っていません。
卒業式の練習からここまで話を広げるのは無理があるかと思いますが、規律を守る、空気を読む、ということをとにかく叩き込まれてきた日本では、義務教育が終わってからも悪影響が出ているのではないかと考えます。
次世代をリードするような革新的な人材が出ないのもこういうわけでしょうか。
あの卒業式をしなくても感動はできる
とにもかくにも、私はあの不快な練習をさせられる卒業式をしなくても十分感動はできると思います。
式典でなくても、サプライズがあって生徒児童が自主的に考えたものを提供されたら、やっぱり感動すると思います。
卒業式をやるな、と言っているわけではありません。不快な練習を伴う卒業式をやる必要がない、というだけです。
感動する方法は他にもたくさんありますし、練習を乗り越えた先にある軍人スタイルの卒業式に感動を求める時代はもう古いのではないでしょうか。
とりあえず私はもう卒業式の練習を経験することはないので、うれしい限りです。
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